【解説】 尾道 2年連続日本遺産認定

ニュース解説 ジャーナリスト 毛利和雄さん
1948年生まれ。早稲田大学第一政治経済学部卒業。NHK入局後、奈良、大阪局を経て、歴史遺産、景観、まちづくり担当のNHK解説委員をつとめた。NHK退局後は鞆の浦に在住。これまでの経験を活かし、歴史や文化資産を活かしたまちづくりについて広く伝えている。ラジオ出演や講演活動も多い。


※5月16日(月)放送の内容をWeb用に再構成したものです。

尾道が2年連続で日本遺産に選ばれました。去年は、「尾道水道が紡いだ中世からの箱庭的都市」、2年目の今年は、「“日本最大の海賊”の本拠地:芸予諸島-よみがえる村上海賊“Murakami KAIZOKU”の記憶-」です。 きょうは、ジャーナリストの毛利和雄さんに話をお伺いします。

毛利さん、2年連続で日本遺産に選ばれたのは、尾道だけだそうですね。

そうなんです。もっとも長崎県佐世保市が、今年二つの日本遺産に認定されていますが、2年連続は尾道市がただ一つです。先月25日に発表されましたが、事前に聞きましたので平谷市長に「よかったですね」とメッセージを送りましたら、台湾に行かれていた時でしたが、すぐに「がんばりました。ありがとうございました。」という返事がきました。
日本遺産は、その地域にある文化財をストーリーで紡いで活用する、観光に活かそうというものですから、訴求力がある、一言で人を引き付けるかどうかが最も重視されます。そうした点からいうと“箱庭的都市”より“よみがえる村上海賊”の方がキャッチコピーとしては迫力がありますよね。

村上海賊は小説で有名になりましたね?

和田竜さんの『村上海賊の娘』ですね。週刊誌に連載されているときに時々読んでいましたが、面白い小説でした。ベストセラーになり、今では漫画本も出ています。
村上水軍は、1576年(天正4年)に織田信長と毛利氏が大阪湾の木津川河口で戦った第一次木津川口の戦い(だいいちじきづがわぐちのたたかい)で、毛利方について活躍し、織田側の水軍に壊滅的な打撃を与えて、織田側と戦っていた石山本願寺に兵糧を届けることに成功したことで知られています。和田さんの小説は、その戦いでの村上水軍の当主・村上武吉の娘・景(きょう、20歳)を描いている。当時美しいとされた平安貴族の娘のようなのっぺりして、おっとりした顔とは違ったので不美人とされたと書かれているので、どんな顔かと思ったら、目鼻立ちが整ったきりっとした顔で、きかん気が強いということですから、現代的な顔だちだったという想定なのでしょう。
日本遺産から話がそれたようですが、話題性があればいいということで、最近、学問の世界では“村上海賊”とは呼ばず、「村上水軍」という言葉を使うことが多いと思いますが、今度の日本遺産、厳密な意味での学術性にこだわらず、キャッチコピーを重視するということなようです。
もっとも海外からの観光客も呼び込むために、海外に向けての発信も重視しようということですから、海賊というのは誤解を招くのではないかということみ気になります。それもあってか、今度の日本遺産「“日本最大の海賊”の本拠地:芸予諸島-よみがえる村上海賊“Murakami KAIZOKU”の記憶-」というタイトルですが、ストーリーとしては、「戦国時代,宣教師ルイス・フロイスをして“日本最大の海賊”と言わしめた「村上海賊」“Murakami
KAIZOKU”。理不尽に船を襲い,金品を略奪する「海賊」(パイレーツ)とは対照的に,村上海賊は掟に従って航海の安全を保障し,瀬戸内海の交易・流通の秩序を支える海上活動を生業とした。その本拠地「芸予諸島」には,活動拠点として築いた「海城」群など,海賊たちの記憶が色濃く残っている。尾道・今治をつなぐ芸予諸島をゆけば,急流が渦巻くこの地の利を活かし,中世の瀬戸内海航路を支配した村上海賊の生きた姿を現代において体感できる」とうたっています。

今のストーリーの中に海城、海の城とありましたが、具体的にはどのような村上海賊の城があったのでしょうか?

村上水軍の勢力拠点は芸予諸島を中心とした海域で、能島(のしま)の村上家、来島(くるしま)の村上家、因島の村上家の三家へ分かれたとされます。能島と来島は愛媛県の今治市で、因島は尾道市ですね。
能島城は典型的な海城で、島の頂上部から段々状に三段に削平して郭(くるわ)、郭は小さな区画のことですが、郭とし、東側、南側に延びる細長い痩せ尾根の頂部にも出(で)郭(ぐるわ)を設けています。建物のようなものは残っておらず、今は平坦面が残るだけです。また、周囲の岩礁地帯には、護岸や船を繋ぐための施設である無数の柱穴が残っています。南北朝時代から戦国時代末期に機能していました。
来島城も、自然の地形を利用していくつもの郭が設けられた跡があり、関ヶ原の戦いの後すたれていったとされます。
因島には、水軍城と称して江戸時代にあったような城がありますが、これはもともとあった城とは全く違って昭和58年に建てられたもので、お城の形をした資料館で、その中に収蔵されている因島村上氏の末裔に伝わる資料などが広島県や尾道市の文化財として指定されています。また、因島には因島村上氏一族の墓地があります。村上氏の本拠であった中庄に造営された菩提寺に、かつて分散していた因島村上氏一族や家臣の墓とされる宝篋印塔18基と多くの五輪塔が裏山の墓地に集積されている。
村上海賊の本拠地だけでなく、崇拝した大山祇(おおやまずみ)神社がある大三島や村上氏の後に、藤堂高虎が築いた当時最新鋭の近世の海城である今治城など構成資産は43にも上ります。今治城は、「来島海峡の地政学的重要性が村上海賊時代から継承されたことを示し、芸予諸島に残った海の人々がこの城を舞台に活躍した」とされます。

今度の日本遺産をどのように尾道の観光に活かしていくか、その点はどうでしょうか?

村上海賊の遺産があるのは、しまなみ海道です。尾道の箱庭的都市が旧市街地を中心とした内陸部であるのに対し、しまなみ海道といえばサイクリング道路として国際的な注目を集めていますし、サイクリング観光と一体となった活用が図れるということですから、二つの日本遺産は尾道にとって大きな資源となります。
No2713.jpg今度の日本遺産は、尾道市と今治市が一緒になって申請し認定されたものですが、サイクリング観光に関しても尾道は広島県、今治市、愛媛県と一体となって振興に努めています。世界第二の自転車メーカーである台湾のジャイアントと提携してサイクリング観光の振興を図っているわけですが、文化財を観光資源として活かすだけでなく、ほかの資源とも一体として、また近隣の地域とも連携して広域観光に活かすということです。
能島城や因島の村上海賊の遺産、大三島など私も訪ねたことがありますが、車を運転しないので不便を感じましたが、自転車でめぐることができれば運動不足の解消にもなり一石二鳥ということでしょうか。

尾道の観光にとって追い風が続きますね。

去年は、全国で日本遺産が18件、今年は19件で、文化庁では東京オリンピックの2020年までに100件をめどに認定していく方針です。
平谷市長、最近どこかの会合で、2年連続でとどめずに来年は“銀の道”、再来年は“北前船の道”と4年連続の日本遺産をめざすと、ぶちあげられたそうですね。
銀の道は、世界遺産石見銀山の銀を積み出すために中国山地を超えて尾道まで運んできた道、北前船は北海道から日本海沿いに瀬戸内を回って難波、大阪までの海の道で、いずれも二つの日本遺産とそん色はありませんが、二匹目のドジョウならぬ三匹目、四匹目のドジョウとなるでしょうか、見ものですね。

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