西郷寺 本尊修理で鎌倉後期作

尾道市教育委員会 文化振興課は8日 午後、報道発表を開いて、保存修理に出されていた尾道市重要文化財 西郷寺の木造阿弥陀三尊像から印仏(小型の版木に仏像を彫り紙に押印したもの)が見つかり、製作年代を示すと考えられる年紀と願主の名前が記されていることが分かったと発表しました。

印仏が見つかったのは阿弥陀如来立像・脇侍の観音菩薩像、勢至菩薩像からそれぞれ15枚ずつで、このうち勢至菩薩像の印仏のうち1枚の背面と包み紙に「ちヽハヽの御かうやうのため たちハなの吉近 弘安八年二月十八日 (父母のご孝養のため 橘吉近 弘安8年<1285年>2月18日)」、「阿弥陀如来印形千五百□内為本尊泥仏之御身中入 大壇越右廷尉吉近」とありました。

印仏は造立当初の納入と見られ、橘吉近が父母の孝養のために阿弥陀三尊像を造立する過程で、印仏作善を行い、弘安8年2月18日に、造立途中の阿弥陀三尊像の像内に納入したこと考えられます。
橘吉近がどのような人物なのかは明かではありませんが、西郷寺と至近の距離にある浄土寺の納経棟(石造 国指定重要文化財)が弘安元年(1278年)「吉近」により建立されたことが想起され、何らかの関係があるものと見られます。
阿弥陀三尊像は、足利尊氏(1305~1358)の念持仏と伝えており、従来、その造立年代は、正慶年中(1332~1334)と伝える西郷寺の創建、あるいは文和2年(1353年)の本堂建立に関連するものとみて、南北朝時代と推定されていましたが、今回の墨書銘の発見により、それを遡る鎌倉時代後期の造立であることが明らかになりました。また願主「吉近」が、尾道に関わりのある人物であるらしいことが窺われ、この地の中世の歴史を考える上でも重要な情報だということです。

大谷大学教授の斉藤望さんは「西郷寺本尊の阿弥陀三尊像は拝する者を見守るかのような明るい面貌や、装飾性豊かな衣文表現、精緻な截金文様、制作技法などからみて、一流仏師の手になる作とみられていたが、制作年代や作者の系統の位置づけが難しかった。今回の発見で制作年代が明らかになったことは、従来、余り研究の進んでいなかった鎌倉時代後期いから南北朝時代の仏像を考える上で大きな意義がある。また、願主の「吉近」が橘姓であり、検非違使の「廷尉」を名乗ったことが明らかになったことは、尾道の歴史を探る上でも重要だと考えられる」と話しています。
印仏.JPG年号と願主の墨書.JPG

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